君には愛する人がいるかい?
私たち人間は、愛されることが必要なことはもう話しました。でも、愛されるだけでは人間の心は満たされないのです。君は気づいていないかも知れないけれど、君が心から求めていることがもう一つあるはずです。それは「愛する」ということです。人間は、誰かを愛する時にはじめて深い所で心が満たされるのです。イエス・キリストがどこで言ったかは記されていませんが、「受けるよりも与えるほうが幸いである」と言われたことが記されています。聖書は、私たちに「愛する」ということの幸いを教えています。
神の愛の眼差しの中に生かされている私たち人間は、誰かを「愛するため」にいのちが与えられているのです。誰を愛するのでしょうか…。聖書が一貫して伝えているのは、「私たちをつくり、私たちを愛し、私たちの人生を最高のものにしようとしておられる神」と「隣人」を愛することです。神は、私たち人間をそのように「愛する者」としておつくりになったのです。この愛するということがなければ、他のどのようなものが満たされていたとしても、君は、決して幸いにはなれないのです。それは、ジグソーパズルの最後のピースを入れるのと似ているかも知れません。「愛する」というピースをはめることによって、君という人間が完成されていくのです。私は、これを「いのちの法則」と呼んでいます。この「いのちの法則」に逆らっては、誰一人として人間であることはできないのです。
君の心の内側から愛が溢れ出る人生。そんな幸いな人生を君は生きてみたいと思わないかい?
こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。
その中で一番すぐれているのは愛です。
Ⅰコリント13章13節